2013年8月24日土曜日

Finding Commonalities

一度、外国人の女性と日本で会話していたとき、「日本人は『共通点』(Commonality)を探しすぎる」という話を受けたことがある。「同じ会社、同じ組織、同じ出身地、同じ出身地、大学…といったことを知って初めて仲良くなろうとする姿勢が見える」というのだ。そんなの外国人も同じじゃない?と聞くと、外国人にとってももちろん、共通点が無いと友達になりにくいのは当たり前、だけどそのハードルはもっと低い、という説明を受けた。

今まで、自分の外国人の友人は留学先での知り合いが中心であり、つまり「同じ大学」であるので、結局外国人とも「共通点」を通じて知り合ってきた。よって、この「共通点」に対する考え方について、当時は彼女の意見を素直に受け取れることは出来なかった。

ただこちらに来て3ヶ月を過ぎ、仕事はさておき大学院生生活も1ヶ月を過ぎると、何となく彼女の言うことが分かってきた気がする。こちらで知り合う大学院生の友人は、単にパーティの席で隣だったとか、違う専攻、違う学年だけどとある授業のStudy Groupで一緒、とかそれだけの繋がりで、そこから関係が深まっていく。共通点のハードルが低い、という点は大いに納得出来る。

一方で、海外で日本人とどう知り合っていくかというと、それこそ「日本人での集まり」にほぼ限定されるのが実態だ。大学院では、中国人、韓国人、インド人、とアジア人は多いものの、日本人は今まで見たことが無い(それなりに大規模校なので、交換留学生など、学部にはいるかもしれないが)。

オーストラリアが移民を受け入れてきたという歴史的な背景も関係しているだろうが、こちらに来て、特に大学院に行っているとあまり自分が日本人だと意識する必要が無い。もちろん、留学生の中で最大勢力を誇る中国人は、授業内容や課題の共有をすべく、そこかしこで中国人同士で集まっている。ただ街中に出ると、国籍で集まっているのは日本人だけだと思う。自分は帰国子女でも無いし、日本人以外の国籍のアイデンティティがあるわけでも無い。ただ昔から、日本人であることがAdvantageにもDisadvantageにもならない環境に身をおきたいと思ってきた。

グローバル人材、という言葉があるが、自分なりにグローバル人材を定義すると、国籍というCommonalityを気にしなくても活躍出来る人材なのだろう。即ち、語学力や専門性といったハードスキルも然ることながら、多様な価値観の中に身を置き、それでも自身の課題を解決出来るか、といったソフトスキルも求められる。単に日本企業で海外駐在している日本人は、日本人であることがadvantageになるので、それはグローバル人材とはいえないのでは、と思っている(と自戒を込めて…)。

何れにせよ、こういったことを自然に感じられるという意味で、大学院の時間は非常に貴重だ。授業の日は授業後はオフィスに戻ることも多く、なかなかしんどいが、頑張ってみよう。

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